気まぐれ日記 05年10月
05年9月はここ
10月1日(土)「天高く、秋晴れの下、書斎に籠もる風さんの巻」
今日から執筆専念ということで、夕べも早く寝た。それで、うちの飼い猫でゴキブリ・ハンター チーズ・カマ・ペコの活躍を知らなかった。昨夜、台所横の洗濯機の後ろに「怪しい移動体発見!」ということで、粘り強く待ち構え、とうとう黒ゴキを仕留めたという。しかも、でっかいヤツ! 鶴の恩返しとか蜘蛛の糸とか色々あるけど、捨て猫を拾って飼ってやった恩返しなんだろうなあ。あはは。我が家にはなくてはならない猫になってきた。
で、今朝は普段通りに起床した。
今日も秋晴れ。行楽日和である。でも、どこへも行けない(涙)。
午前8時過ぎから書斎へ。しかし、執筆の前に15日の新鷹会の準備があった。2年ぶりの塩原温泉勉強会である。連絡の取れていない人にメールや電話で再確認をし、9月末日時点の参加人員を確認し、和泉屋旅館へメールすると同時に電話した。すると、うまい具合にご主人が出た。ほどよい人数になってきたので、当日はゆかりの文学亭を貸し切り状態にしてくれるそうである。ラッキー。
執筆はまたまた時代考証に懲り過ぎて、遅々として進まなかった。夕方、気分転換に筋トレに出かけた。どうも最近はひと月に1回になってしまっている。
トレーニング後の数値は先月と酷似している。血圧は正常(よかった)。肥満度−0.6%で体脂肪率は19.2%。BMIは21.9。ちょっと太り気味だ。
10月2日(日)「書斎を飛び出した風さんの巻」
いよいよ執筆がピンチのような気がしてきた。第2稿に取り組んでいるのに、ちっとも進展しない。時代考証だけは進んでいるが、ドラマが進展しないのだ。物語が面白くなければ、小説ではない。
とうとう書斎から飛び出した。
モバイルパソコンのアシュレイを持って階下のサンルームへ降り、参考資料を見ずに、ひたすら物語の手直しに着手した。これでじゃんじゃん進むかと思いきや、時代考証にはまっている間に、小説の神様がどこかへ行ってしまったようなのだ。歴史読み物みたいな文章しか出てこない。やばい。
就寝前の1時間は、ロックのグラスを片手にアシュレイのキーボードを叩いた。
10月4日(火)「無理したくても無理でない高年者?・・・の風さん」
現代病かもしれない。また、部下の一人が精神的に病んでいた。俗に言う「うつ病」である。ストレスが主原因のはずなので、あるいは引き金になっているはずなので、少しでも楽な業務にと工夫してみたが、あまり効果が見えなかった。
この病気になると、会社を休んでしまう。それも、連絡がないままだ。心配して同僚がかけつけると、部屋で寝ていることが多い。明らかに体調は悪そうで、本人は、自分さえしっかりすればこの状態から脱せるはずと信じていて、実はますます病状は悪化してしまう。
今回の部下は、非常に若く、寮生である。2日の日曜日に、直属の上司に熊本の実家まで出かけてもらい、ご両親と相談してきてもらった。その結果、明日予定している病院の診察日に合わせて、当地まで出てきてもらい、医師とも相談の上、できるだけ実家で静養してもらうつもりだった。
夕方、そのご両親がはるばる熊本から到着されたので、挨拶におもむき、色々なお話をした後、当面職場のことは心配しなくていいし、病気が治った後のことは何でも相談に乗ります、と先ずご両親を安心させることに注力した。
わたし自身も、ちょうど1年前に、入社以来おそらく初めての「会社いやいや病」が出て、夏期休暇明けに3日連続して休んでしまった。加齢とともに気力・体力ともに低下しているのに違いない。このように高年者は仕方ないとしても、せめて若い人たちには、無理してしてでも様々のことにチャレンジしてもらいたいと思う。しかし、昨今の世の中は頑張りを押さえつける法規制が強化されている。労働基準法だ。社内を見ると、残業規制が外から締め付けてくる。若者が精一杯生きるためには、会社は不適当な世界になりつつあるのかも。
つらつら考えながら帰宅したのだが、ご両親とお会いしたホテルに傘を忘れてきてしまった。ボケだ。
10月5日(水)「帰ってきた東京雨男・・・の風さん」
今日は東京出張。最寄の駅までワイフの車で送ってもらった。
「傘、持たなくていいの?」
「え? 東京は雨かい?」
「新聞、見なかったの? こっちはもうすぐ雨だよ」
通学途上の小学生の列を見ると、一人残らず傘をぶら下げている!
天気が変わる前に気分が滅入った。
名古屋までの私鉄に乗っている間に、現在読んでいる辻真先先生の『沖縄 軽便鉄道は死せず』を1章だけ読んだ。東京までののぞみに乗車している間に、執筆中の自分の原稿を1章だけ読んだ。気力・体力ともに落ちているときにこういう行為をすると、体調不良になる。頭が痛くなった。
新横浜を過ぎて窓外へ目をやると、はたして雨! やられた! また、傘が1本増える。
夜も重要な仕事のために東京にいたので、帰りが遅くなった。
11時15分に最寄の駅に帰ってきた。16時間ぶりの帰宅。新しいジャンプ傘が余計な東京土産だ。
疲労困憊していたが、うれしいニュースもあった。名古屋の調理師専門学校へ通っている長女が、成績優秀で表彰され、奨学金までもらえることになったと言う。学年でトップ2に入っているとかで、私はきっとトップだろうと信じることにした。勉強では小学校6年生のときからつらい思いをしてきた長女なので、ようやく得意な分野を見つけかけているのかもしれない。
10月7日(金)「これじゃブログか・・・の風さん」
今日は名古屋出張。
朝刊を見ると、午後から雨だった。同じ過ちを犯してなるものか、と折りたたみ傘を持って出かけた。
はたして、仕事が終わって帰る頃、外へ出ると、本格的に降っていた。
帰りに、火曜日に傘を置き忘れたホテルに寄って、保管しておいてもらった傘を受け取った。
さらに、イベントをやっているガソリンスタンドに寄って、しっかり景品をもらった。ついでに、燃費も10km/Lを超えていた。エアコンを使わない日もあるので、燃費が良くなるのだ。
すべて順調な一日だったと、ニコニコしながら帰宅したら、迎えてくれたワイフが憂鬱な顔をしていた。
「一時停止違反で捕まったの・・・」
「にゃにい〜?」
聞けば腹が立つ内容だった。
そこは見通しの良い場所で、しっかり停止しなくても安全か危険か容易に判断できる場所だった。ワイフは減速しただけで、優先道路に侵入したらしい。確かに法律違反ではあるが、不安全運転をしたわけではない。まして、事故を起こしたわけでもない。警察官が張っていて、次々に御用になっていたそうである。もともとそんなところは、一時停止の標識など立てなくたって、まっしぐらに優先道路に侵入する馬鹿はいないのだ。ただの法律違反を捕まえるなどということは、まるで自動車学校で試験をやっているようなものだ。
交番にはなんと5人もの警察官がいて、次々に捕まってくる善良なドライバーの処理をしていたそうな。
警察官があり余るほどいるわけではない。軽犯罪を追っているヒマがあったら、酒酔い運転とか危険運転とかを取り締まってもらいたい。
先日のネズミ捕りのあった日の翌日も、私は通勤道路でネズミ捕りを目撃した。最初のネズミ捕りがカーブを曲がった直後といういかにも待ち伏せであったのに加えて、次の日のネズミ捕りは、きわめて見通しの良い農道に近い直線道路で、ほとんどのクルマがスピードを出して走る道路だった。法定速度を超えていたから捕まえるというのではなく、明らかに危険な運転とみなされるドライバーを取り締まってもらいたい。
ちなみに、ワイフは運転免許取得以来25年以上「無事故無違反」だった。
私の場合は、免許取得直後の数年間には何度か捕まったが、昨年、23年間無事故無違反で地域から表彰されている。今日のワイフのケースは、わたしだって捕まっていただろう。
傘で得した気分が、いっぺんで消し飛んだ。こういうのを「水をさされる」ともいうな。
10月8日(土)「安否システムで起こされた風さんの巻」
第2稿を仕上げねばならない週末だ。
1年を通して受験生状態が続いている・・・と以前はよく言ったものだが、うちの子供らを見る限り、昨今の受験生は普段と変わらない。努力して何かを得たいという感覚が、今の若者にはないようだ。そのくせ精神的にはもろいのだから始末に負えぬ。こういう台詞を吐くようになったということは、私も早老境に入ったということか。どうも、小説家はくるくると視点を変えて物事を考察するから、本音がどれだか分からなくなる(苦笑)。
普通に起きて早速執筆に着手した。第2稿を宅配で送るのは月曜日の午前と決めている。それまでやることは膨大に残っているが、めげずにスタート。
ところが、昼食後に早くも息切れ。体力不足が痛い。ベッドに横になってみると、全身が疲労しているのがよく分かる。ウトウトし出す。
遠くで電話のベルが鳴った。誰かが取るだろう。
また電話のベルが鳴った。誰かが取るだろう。
トントン。ドアを叩く音がする。
次女が入ってきた。
「お父さん。自動音声で、安否システムがどうとか言っているよ」
「いけねー。会社の防災訓練だ!」
さきごろ立ち上げた、安否システムというのがある。災害が発生したときに、社員と家族が一斉にそこへ安否登録をするのだ。どこからいても、職場の人間の安否情報はもとより、家族の状況も把握できる。把握できても、それが今危険な状態にあるからと言って、安否システムが助けてくれるわけではないが、とりあえずの情報把握だ。あらかじめ連絡先を登録してあるので、安否登録していない人へは、登録してある電話番号なりメールアドレス宛に催促がいく。昨日の夕方から今日にかけて、震度6の地震が発生したという想定で、安否システムに登録する訓練が行われた。私は自主的に安否情報を入れてなかったので、その催促が電話であったのだ。何しろ、登録してある連絡先のケータイもパソコンも電源を落としているのだから、自宅の電話にかけてくるしかないわけだ。
1時間ほどの昼寝でフラフラと起き出して、執筆マシンのところへ行く。
うろ覚えの安否システムのURLを入力してサイトを開こうとするが、かすんだ頭から出てくるURLは間違いばかり。何度もやり直してやっと入力し終えた。出社可能かどうかを答える欄では、「不可」にチェックを入れた。
10月9日(日)「とうとう徹夜・・・の風さん」
いよいよ執筆の最終日だ。何とか徹夜にだけはならないようにしたい。
少し寝坊して出足でつまづいた。
昨日今日とアメリカからメールが送られてくる。咸臨丸子孫の会がアメリカツアーに行っているのだ。昨年から知っていた企画で、私もできれば参加したかった。会社の都合で行けないのではない。本業の執筆がちっとも捗らないから行けないのだ。
アメリカからのメールによると、ブルック大尉のお孫さん(90歳)のお家を訪問したそうで、「ブルック大尉のお陰で無事に太平洋を横断できたので、こうして私たち子孫が楽しく暮らしています」と感謝の言葉を伝えたらしい。本当にそうだよね、と思う。
地球上のどこかでは常に戦争が行われているし、最近の暗いニュースと言えば、パキスタンの大地震だ。生きるということは容易なことではない。ただ、生まれ育って生きているということは、ご先祖様を始め多くの人のお陰である。
・・・感謝の気持ちは決して忘れないが、それで実力が増すわけじゃない。とうとう執筆は徹夜になってしまった。
いま、実は、10日(月)の朝6時である。
約600枚の第2稿が出来た。2台のプリンターを駆使して印刷している間に、気まぐれ日記を書いている。
10月10日(月)「ヨン様の「4月の雪」・・・の風さん」
珍しく会社はお休み。だから、徹夜もできた・・・つぅか、徹夜のできる環境だったので、徹夜してしまった、というのが正しいだろうなあ。
4時間ほど仮眠してから起き出して、梱包し、宅急便を出しに行った。だいぶ前に郵パックに切り替えると新聞に出ていた某コンビニである。まだクロネコのままだった。昼前に出せたので、明日の午後、東京の出版社に届く。
今年、2度目の「オフ」を予定していたので、ワイフと電車で名古屋へ出かけた。
ヨン様の「4月の雪」を観た。美しかった。文章で言えば、これは小説ではなく詩だ。映像詩。登場人物の設定や、物語の背景が希薄というか、さっぱり分からない。中途半端の場合は、これは作り手のミスだと決め付けて批判もできるが、徹底して分からない尽くしなので、これはこういうものだと理解するしかない。となると、やはり、詩と言わざるを得ない。実にセリフの少ない映画で、感性で堪能することができた。
蛇足だが、この映画を観た人もいると思うので、上記のことをもっと具体的に書いておこう。観てない人、これからも観ない人は、ここは読まなくてもよろしい。まず、二組の夫婦のなれそめを筆頭に、男女の人物設定が不明。履歴書が書けない。それぞれの夫や妻が交通事故で重態なのに、見舞いに来るべき家族・親戚・同僚・友人がほとんど出てこない。この物語の中で明確に「縛り」があるのは、二人が結婚しているということだけである。普通は、家族関係や仕事、友人さまざまの複雑な「縛り」があって、葛藤するのだが、それはすべて消している。端的に言うと、不倫していた男女が交通事故で重態となっていて、それぞれの夫と妻が恋に落ちてしまうという話だ。これを不倫という言葉で片付けることはできない。私は、この映画の主題を「どのような状況下でも男女の恋は芽生える」ととらえた。真理だと思う。
映画を観ていてうれしいことがあった。予告編の中で、Zhang Ziyi主演の「さゆり」が流れたのである。これは絶対に観なければならぬ、と心に決め、帰りに前売り券を買った。おまけでカレンダーをもらった。
夜は、長女がバイトしている名古屋マリオットホテルのレストランへ行き、ディナービュッフェを食べた。飲み放題、食べ放題で、料理も非常に美味しかったのだが、いかんせん、カラダが受け付けぬ。歳だ〜。2時間半も頑張ったのに、ドリンクは白ワイン、カクテル(モスコミュール)と飲んで、次に赤ワインをもらったところで、ちょっとしか飲めず。料理も、色々と食べているうちにお腹が一杯になり、デザートにタルトとコーヒーでおしまい。
もったいない、と長女に叱られた。
10月11日(火)「展示会けっこう好きかも・・・の風さん」
どうも秋は天候が不順だ。晴れたり降ったり曇ったり。そして、気がついた時には、冬の訪れを感じていたりする。でも、まだ半そでノーネクタイで働いている(・・・と自慢にはならない。中学・高校時代から、衣替えが同級生より常に1ヶ月は遅れていたっけ)。
けっこう展示会が好きかも。どういうことかと言うと、仕事柄、技術関連の展示会によく足を運ぶ。足は疲れるが、気は疲れない。時代に乗り遅れていることが多いので、こういうときに一気にカルチャーショックを受ける。
この間の展示会で、感性制御技術ソフトウェアのデモ展示があって、面白かった。大型スクリーンに何かのキャラが出て動いているが、これは本質ではない。マイクなどから音声入力をしてやると(平易な表現で言えば、話しかけてやると)、話し手の感情を分析してくれるのだ。感情は「怒り」「哀しみ」「喜び」「平常」「笑い」「興奮」で分類される。ただ一種類に振り分けられるのではなく、いくつかの成分に複合して結果が出てくる。たとえば、一流の俳優が悲しい場面のセリフを言っているところを入力すると、当然のごとく「哀しみ」の成分が検出される。ところが、同時に、「喜び」の成分が出てきたりするのだと言う。つまり、俳優は、本当に悲しいのではなく、見事に哀しみをセリフで表現しているのだが、一方でその演技そのものに納得していて喜びの感情がつい知らずに出てしまうのだそうだ。これは、小説にも使える。
先週も、ある展示会へ行った。そこでは、画像処理技術の応用で、性別年代推定技術のデモをやっていた。カメラの前に立つと、顔の画像を取り込んで、「男か女か」「年代はいくつか」が出てくる。人間も長くなると、図々しく臆面もなくカメラの前に立てる。結果はじきに出た。
「あなたは男性ですね」 ⇒ お、当たってるじゃん。
「お年は・・・30代、でしょうか」 ⇒ あはは。喜ばせやがって。でも、はずれ。おいらは50代だ。
近くに立っている説明員にカラクリを質問した。すると、約1万人の日本人の顔の画像データから、統計的に判断するのだそうだ。しかし、それだけじゃ分からぬ。もっと技術的に、どんな特徴を抽出しているのか教えろ、と迫った。そうしたら、男と女の顔では、たとえば眉と眉の間の間隔が、男は狭く女は広いという差がある。年代では、顔の皮膚の皺の多さと年代に相関がある。この統計データは日本人固有のもので、欧米人が前に立つと、一般に老けた結果が出る。童顔の人には童顔の特徴があって、それもきっちり区別できる。とのことだった。にゃーるほど。・・・とはいえ、客を喜ばせるために、年代は1ランク下げて回答させているだろう? と追及しようとしたが、しつこい客に閉口したのか、説明員はどこかへ雲隠れしてしまった。
10月15日(土)「塩原温泉勉強会・・・の風さん」
今日から新鷹会の塩原温泉勉強会である。台風20号が接近していて、また空模様が心配である。
目覚ましは6時にセットしてあった。昨夜はまだ旅行や新鷹会の準備に追われていて、就寝したのは午前2時過ぎだったから、寝不足で眠い。最寄の駅から7時12分発の特急に乗った。現地集合・現地解散ということで、幹事(私のこと)としての手を抜いていたが、それでも午後1時までに現地に行こうとすると、こんなに早く出発しないといけないのだ。
家から一歩出ると雨模様。やはり私は東京雨男か(笑)。
東京から推奨してあったやまびこ157号に乗車した。睡眠不足を補うための仮眠をとりたくて、名古屋駅で缶入りの水割りを飲んだが、酔いがまだかなり残っている。本当に私はアルコールに弱い。新幹線以外でやってくる会員の交通手段は、新宿発の高速バス「もみじ3号」である。12時1分に那須塩原駅に着いたら、「もみじ3号」で来ると言っていた人が乗っていたので驚いた。なんと、今朝出発直前にチケットを買おうとして並んだが、目の前で満席になったのだという。だから、前もって買うことって言ってたじゃないの! それでも、そこから急遽電車で東京駅へ向かって新幹線に間に合うのだから、その人にとっては、なかなかスリリングな旅の始まりであったわけだ。
今宵の宿、和泉屋旅館に集合した。幸い雨はほとんど降っていない。同旅館は新鷹会ゆかりの旅館で、昔から新鷹会の先輩をはじめ、作家たちが大勢利用している老舗である。今回は、その思い出が詰まっている旧館「文学亭」を新鷹会で貸切にしてもらった。最初のスケジュールである「塩原もの語り館」を全員で見学し、午後2時から広間で勉強会を始めた。総勢15名による勉強会である。代々木八幡で毎月やっているのと遜色ない規模である。途中、地下の卓球場で子供たちが卓球を始めたので、その騒音に悩まされたが何とかやっちまった(笑)。
旅行とはいえ、4本もの短編が集まったので、ちょっとタイムキーパーは大変だったが、午後5時までかかって充実した意見交換ができた(満足、満足)。
地下の大浴場でゆっくり温泉に浸かり、午後6時半から宴会となった。以前は飲兵衛とカラオケ大将が多い旅行会だったが、今回のメンバーはぐっとおとなしく、黙々と宴会が進行した(昔に比べるとそういう表現が当たっている)。そして、8時半から新館へ移動し、そこにあるバーを、これまた貸切状態にしてもらって、やっと飲めや歌えの宴会気分となった。アルコールに弱い私は、最初はおとなしかったが、最後の方になるとマイクをつかんで離さず、周囲の顰蹙を買った(^_^;)。
午前零時からさらに別室で3次会があったが、私は、大浴場で汗を流してから、辻真先先生と午前2時過ぎまで枕を並べて語り合った。そう。故山岡壮八先生が愛用された「りんどうの間」で、私は辻真先先生と同室だったのだ(って、部屋割りを決めたのは私だから、これはシナリオ通りか)。昨日読み終わったばかりの『沖縄 軽便鉄道は死せず』について、あれこれと質問させていただき(もちろん小説作法だ)、大変勉強になった。
10月16日(日)「東京雨男変じて地震男?・・・の風さん」
7時に起床して、朝風呂へ行った。温泉に来たら3度は入らなければいけない、と誰かから聞いた気がする。
8時から朝食。いつもはトースト1枚だが、ご飯を2杯も食べた。それだけ、爽快な朝を迎えることができたのである。旅行でこういうことは珍しい。
朝食後、和泉屋旅館からの所望で、全員が色紙を書いた。ここで色紙を書いたのは私も初めてである。「小説は人生そのもの」と下手くそな字で書かせてもらった。この色紙が価値が出るように頑張らねばならないが、……ハードルは高い。
9時で解散なので、それぞれのスケジュールに合わせて、一人また一人と、思い思いの時間に思い思いの交通手段で帰って行った。
私は10時前に、今回の旅行会の精算を終え、さらにお土産の地方発送もお願いして、ようやく自由の身となった。今回は幹事だけでなく旅館の番頭役もときどきやったので、面白かったけれど、けっこう疲れもした。
高速バス組の一団を見送って、5人で旅館から近い「天皇の間記念公園」を見学し、それが終わると、さらに3人と2人に別れ、私は新鷹会で気の置けない相棒と二人旅になった。七ツ岩吊橋を渡ってバスで「アグリパル塩原」へ行き、郷土資料館を見学し、それから那須塩原駅へ向かった。待ち時間が中途半端だったので、コンビニでおにぎりを買って、車内でそれで昼食にした。お茶代わりにビールを飲んで、また酔ってしまった。
東京には予定よりも早く着いたので、以前、行きそびれた深川江戸資料館へ相棒と行ったら、運悪く途中で地震が襲ってきた。自宅から「大丈夫?」メールが来たので、返信で情報を求めたら、震源地は茨城で東京は震度3とのことだった(実際は震度4)。かなり揺れた感じがしたのは、深川の地盤が弱いせいだろうか。
相棒と途中で別れ、私は今宵のホテルにチェックインしたが、なぜかどっと疲れが出て、午後10時半ころまでダウンしてしまった。
10月17日(月)「めまぐるしい1日・・・の風さん」
午前8時に起床し、ホテルで朝食を摂り、天王洲アイルへ向かった。京都大学の上野健爾先生を「Net Rush」に紹介するためである。約1時間の打ち合せ後、上野先生のエグゼブティブ名鑑の収録は、11月2日(水)と決まった。あいにく私はその日は東京へ出て来れそうもない。
先生と一緒に御茶ノ水まで行き、私は出版社との打ち合せ、先生も神保町でのお仕事があり、途中で別れた。
上野先生からはからくりに関する資料のコピーをどっさり頂戴することができて、非常にうれしかった。
午後は、出版社と1週間前に送った第2稿に関する打ち合せをおこない、課題はまだたくさん残っているが、次回は2ヵ月後ということになった。のろまではあるが、それでも前進はしている。
(編集長を見送り、一人喫茶店に残って、実は気まぐれ日記を書いている)
その後、喫茶店を出、知人が出した雑誌を三省堂本店で探していたら、知り合いの三省堂の部長さんがみえたので、
「知り合いが最近出した雑誌が見つからないのですが、ご存知ですか?『今日から悠々』というのですが……」
「鳴海さん。すぐ後ろにありますよ」
うまい具合に購入できた。
夜は「Net Rush」の懇親会がホテル日航東京であるので、ゆりかもめに乗るため、新橋へ移動した。今夜の行事とは関係ないが、そこにチケットショップがあったので、来月予定しているスケジュールのための前売りチケットをゲットしておいた(たまには、効率的に仕事が運ぶこともある)。
今日は終日雨で、東京雨男を再認識させられている。
ホテル日航東京には少し早めに着いたので、アシュレイを立ち上げて、定刻まで会社の仕事をした。
パーティには関係者だけが招待されていたのだが、私は、真咲なおこさんの了解を得て、友人の東海大学の教授を呼んでいた。上野先生の次に紹介してみようという狙いからだった。とりあえず引き合わせることができたので、後は、彼の実力と運次第である。
ギリギリまで会場にいて、ゆりかもめ、JR山手線、のぞみ(車中でアシュレイを立ち上げて、会社の仕事の続きをしたのだが、途中バッテリ切れで終わらなかった)、名鉄特急、と、ほとんど終電状態で、それでも何とか午前零時前に帰宅することができた。
10月22日(土)「ダウン、ダウン・・・の風さん」
今週は朝晩の冷え込みがきつく感じた。老化現象かもしれない。でも、その割に毎日元気で、睡眠不足も平気で過ごしてきた。火曜日と水曜日には会社で血圧測定があり、どちらもまずまず正常範囲内だったので、けっこう体調はいいのかな、と自信をもったりしていた。
昨日は、昼直前に会社を脱出して、ポートメッセ名古屋まで展示会を見学にも行った。
ところが、ところが、である。そんなに疲れているとも思えなかったのに、昨夜、書斎に入ってから、急激に疲労を覚えたので、ちょっと横になってカラダを休めようとしたら、そのまま今朝まで寝てしまった。結局何時間寝たのかはっきりしないほど、昨夜のダウンの仕方は急激だった。
今朝、起床したのは7時半である。自分としては爽快な朝を迎えた気になっていた。
書かなければならない原稿がわんさとあって、その中から、長谷川伸に関する自費出版のために依頼されている序文に、ようやく手をつけた。400枚を超える原稿は先月のうちに全部読んでいたので、早く書き終えてしまいたかったのだが、なかなか忙しくてできなかった。
ところが、ところが、である。昼食後に、ちょっと横になったら、またダウンしてしまった。まだ疲れがカラダにしっかり残っていたらしい。
4時過ぎにようやく起き出して、再び序文に取り組んだ。それから手紙を書いて、序文の仕事が一段落した。
続いて、明日の部下の結婚披露宴のスピーチ原稿に取り組んだ。今回は仲人や主賓ではないので、いくらか簡潔な祝辞を目指した。それでも、終わったのが午後11時である。
昨日から2度もダウンしているので、今日はもう無理するのはやめにすることにした。
何とも情けない週末である。念のためにバイオリズムをチェックしてみたら、持久・持続力好調日に入っていた。ウソつけ。
10月23日(日)「ぶったまげ新郎の父親のスピーチ・・・の風さん」
会社の部下の結婚・披露宴に招かれて名古屋まで出かけた。飲まないことにして、ミッシェルで行った。電車で3回乗り換えはちょっと億劫だった。つまり、私は意外と名古屋からは不便なところに住んでいるのである。
知多半島道路と名古屋高速を比較的のんびり走っても、1時間弱で目的地のホテルに着けた。
最近の若い人の結婚・披露宴の特徴は、第一が晩婚で、第二がリラックスムードだと思う。今日の二人も30歳を過ぎていたし、とにかく終始楽しそうだった。
今日の披露宴で一番感動したのは、最後の方であった新郎のお父さんのスピーチである。
「見てください。実に幸せそうな二人を!」
で始まったところはまだ普通だったが、次のセリフを聞いて腰を抜かしそうになった。
「でも、そう思っているのは今のうちで、もうすぐ地獄が始まるのです」
おいおい、何を急に言い出すのだ、この人は!?
「結婚生活というものは、そんなに甘いものではありません」
うん。そりゃ確かにそうだろう。しかし。
「二人の幸せは、二人だけで作れるものではなく、ここに集まっておられる皆様のご支援なくして、二人の幸せはないのです」
ほほう。なかなか良いことを言うな。
「ですから、二人は、自分たちの幸せの前に、周囲の皆様の幸せを先ず考えること。感謝の気持ちを忘れずに、自分たちが幸せだと思ったら、それを皆様の幸せにつなげるように生きることが大事です」
・・・。
「そのように、これから二人を育てて行きますので、うまくいくかどうか分かりませんが、皆様のご指導ご鞭撻もよろしくお願いいたします」(深く頭を垂れる)
拍手。喝采。
10月24日(月)「これも一種のコストダウンか・・・の風さん」
話は昨日の続きである。
披露宴会場では、各テーブルに1つずつバラのデコレーションが飾ってあった。披露宴が終了して、バラを分けてもらおう待っていたら、「バラバラにはできません」とのことで、クルマで来ていた私が幸運のくじを引き当てた。
るんるんらんらんスキップこそ踏まなかったが、喜んで帰宅して、ワイフに自慢した。
「バラの花をもらってきたぞ!」
「バラじゃないわよ、カーネーションよ」
「??????????」
「バラはこれとこれ、そうね、3つくらいかな。あとは全部カーネーション」
指摘されて初めて気が付いた。こんもりとタマイブキのように半球形に盛られた花びらは、よく見ると、てっぺんのあたりだけバラで、残りはほとんどカーネーションだった。深紅のバラと同じ色のカーネーションを集めていたので、全部がバラに見えたのである。カーネーションといえば、ピンクかせいぜい普通の赤しか頭にない。まさか、バラとそっくりの深紅のカーネーションがあるとは! よく考えてみれば、これは見事なコストダウンである。脱帽!
そして、今日の話。
退社した帰りにミッシェルに給油してきた。ガソリンが高くなったなあ。
いつも満タンにするので、燃費計算ができる。おお! 11.1km/L 季節が良くなって、燃費も向上した。うれしい。
10月26日(水)「展示会で息抜き・・・の風さん」
早朝から川崎の近くの会社へ出張する用事があったので、昨夜、横浜に泊まっていた。以前利用したことのあるホテルをネットで予約してあった。その記憶だけでホテルへ向かったら、案の定、道に迷い、だいぶ遠回りしてやっと10時過ぎにチェックインできた。
寝坊しては大変なので、早めに就寝し、今朝も目覚ましが鳴る前から目覚め、さっさと起床した。しかし、仕事なので、ネクタイを締め、スーツを身にまとうとなると、けっこう出発に手間取る。
・・・なんとか、10時半には最初の仕事が終了した。
読者もご存知のように、最近は仕事のストレスをやり過ごすために、展示会によく行く。現在開幕中の東京モーターショーは来週ワイフと行くので、今日は、同僚を誘って、WPCEXPOに出かけた。パソコンやケータイ、デジカメ関連の展示会である。会場は東京ビッグサイト。
新橋駅のコインロッカーにカバンと上着ついでにネクタイも放り込み、身軽になってゆりかもめに乗り込んだ。
先週来たばかりのホテル日航東京を過ぎて、国際展示場正門で降りる。川崎からSUICAとパスネットでたどり着くのだから、まるで東京人だ。
マクロソフトのブースを同僚と見学し、最新のソフトを感心して眺めた後、昼食を摂り、その後は別れて、個人的に見て回った。昨年もついでに寄った展示会だが、今年は人出がやや少ない感じがした。
来年ゲットしたいケータイや新型の複合プリンターなどをチェックして、それなりの収穫があった。
某社のデジカメのブースで、コンパニオンの子が、使ってみてください、と寄ってきた。一眼レフの高級機である。昔の一眼レフはさんざん使っていたが、デジカメは未経験だった。被写体にレンズを向けてシャッターを半分押すと、望遠レンズがズーッと動いてぴしゃりとピントが合う。なかなかの手応えがあった。撮った画像をその場でプリンターへ接続し、カメラのボタンを押したら、写真が出てきた。
モデルだし、生写真だから、いいよね、ここに公開しても(^_^;)。
夕方、会場を出たら雨が降っていた。ええ〜!? 東京雨男のせい?
10月27日(木)「創作修行の身であれば・・・の風さん」
今日は岡山へ出張した。会社の仕事で東奔西走である。列車の中は読書タイム。カバンの中には文庫本を2冊しのばせている。往路で、読みかけの文庫を読み終えた。水上勉の『はなれ瞽女おりん』である。短編2本を読んだのだが、短編でも人間の一生が描かれている。一生という時間ではない。人生が描かれているのだ。復路では、平岩弓枝先生(新鷹会の大先輩なので、先生と呼ぶ)の御宿かわせみシリーズの短編を1本読んだ。かなり複雑なトリックを用いた物語で、ちょっとここまで込み入った内容にすると無理があるな、と思った。素人の私は注意しよう。
帰宅したら、鈴木輝一郎さんの新刊が届いていた。信長だ! 『信長が宿敵 本願寺顕如』(毎日新聞社 1800円税別)。なかなか読みごたえのありそうな厚さである。これで1800円とは、相当の初版部数と思われる。うなってしまった。
来月の勉強会までに短編を1本書いて持参しなければならない。が、題材は用意してあっても、肝心のテーマ、つまり人間ドラマ、どのような人生を描くかが決まっていない。
就寝前に枕元にある宮部みゆきさんの『孤宿の人』の下巻を読む。くどいほど描写が続く。私にはできない芸当だ。
10月29日(土)「不調の中でも、えんやこら・・・の風さん」
昨日は出社しても体調がすぐれなかった。疲労感がカラダにまとわりついていて、どうにも気力も湧かなかった。仕事の方は、大トラブルが勃発していたのだが、力強く対処できず、職場に迷惑をかけた・・・というか、部下たちの力になれなかった。先週の定期健康診断の結果が届いていて、特に異常は見つからなかったようだ。しかし、私は、昨年より5ミリ縮んだ身長が気になった。とうとう背丈にも老化が始まったか、と。だいたい、歳をとると、背も縮むものだ(とほほ)。
退社後は、トレーニングに行く予定だったけれども、当然、そんなことはできなかった。
9時ごろに就寝して、今朝、やっと10時過ぎに起きた。カラダの節々が痛く、入浴してみたが、気分が重い。
体力が低下している上にトレーニング不足。そこへ、睡眠不足の不摂生生活をしたり、今週のように東奔西走をやらかしたりすると、たちまちカラダに変調をきたすことになる。
それでも、今日は、町の文化祭が体育館で開催されているので、わずかの時間をやりくりして、ワイフや次女と見に行った。ワイフのトールペイティング教室「ウッドスタジオ」が、例年通り3区画を占めて展示していた。生徒のレベルが上がってきたので、なかなかサマになっている。私が教室の事務局をやる日も近いか(笑)。
中3の次女の絵も展示されていた。暗い絵だった。
町長の書が展示されていて、今年も、その見事さというか美しさに圧倒された。
「自然なくして 人はなし 心なくして 美しさはなし」
今年はじめ、合併により南セントレア市を誕生させようとして日本中の批判を浴びた町長である。反対派も多いが、観光ぐらいしか資源のない町の活性化のために腐心する町長の苦労を私は理解できる。ただ、そのやり方の強引さが、しばしば非難されるのである。書の見事さを言動にも、と望まれる。
夕方からまたベッドに倒れ込んで寝た。
夕食後もイマイチしゃきっとしないので、今夜も執筆は断念し、中断していた気まぐれ日記を書くために、今、書斎にやってきたところだ。
10月30日(日)「短編を一日で脱稿・・・の風さん」
今朝は7時半に起床した。まだ体調は万全じゃないが、甘ったれている場合でなくなってきたので、とにかくベッドから出た。
とりあえず全く未着手の短編を書き始めるために、少しばかり資料をチェックした。先日、辻真先先生に教えられたとおり、最初に資料に当たって、たとえしっかり記憶できていなくても、むしろすっかり忘れたぐらいの気持ちになってテーマに沿って物語を書く。それを心がけることにした。
一番迷っていた主人公を決めたことがスタートを切るきっかけになったと思う。少々難しい主人公だが、挑戦してみよう。
昼過ぎに、伊東昌輝先生からファックスが届いた。塩原温泉勉強会の収支決算書を提出するようにとのご指示だった。いけねえ。ちゃんとやってなかった。慌てて、和泉屋旅館へ領収書の発行をお願いした。
さて、短編の方は、実際には午後3時過ぎから書き始めた。
(それにしても、私が書斎で仕事をしている時は、ワイフは家にいることがないな)
夕食の時にビール(スーパープレミアムモルツ)を飲みながらキムチ鍋をつついたため、2時間ほどの中断があったが、何とか、午後10時までに36枚ほどの超粗っぽい草稿を書き上げた。これなら15日までに仕上げることができるかもしれない。いや、できる。きっとできる。そう信じて頑張ろう。
05年11月はここ
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